アーティスト・みつき
2004年、わずか611gで生まれる。
呼吸器機能、聴覚、体幹機能に障害があり
生まれた時から20年、病院で暮らしている。
20歳現在、体重9kg。
街の騒音、お金、火など
“当たり前”とされる事象に触れたことがなく
非日常の世界で暮らしている、とも言えるみつき。
2021年、18歳の時に特別支援学校訪問学級の芸術講師をしていたUMUMに出会い
支援校卒業後も、継続的にアートレッスンを受講。
線や色、形など、プリミティブな美しさが印象的な作品を制作している。
2024年12月 たましん美術館内にて個展「わからなさのリアリティ」開催予定(東京・立川)
2024年4月 チャリティーアートイベント「第4回 匿名希望展」原宿ハラカド(東京)出展
2024年2月 初個展「それは、思い込みかもしれない」gallery mahikamano (東京 吉祥寺)
みつき個展
「わからなさのリアリティ」
2024年12月9日(月) – 2025年1月24日(金) 8:00-21:00
たましん美術館(多摩信用金庫本店) 2F ギャラリー(地域貢献スペース)
※土日祝、年末年始など、多摩信用金庫休業日もご来場いただけます
※会場の特性上、スタッフの常駐はしておりません。
展示や作品の詳細については、ホームページや掲示物をご覧ください。
Art management:UMUM
Art curator:Ryo Watanabe
Exhibition history
2024年2月 初個展「それは、思い込みかもしれない」gallery mahikamano (東京 吉祥寺)
STATEMENT
人は自由ではない。
そもそも私たちは重力など物理法則や現象に従っているし、社会の中ではルールを守らなければいけないし、生い立ちや環境などにも影響されている。創作活動でさえも、過去に見たり聞いたり、経験したことに影響されていない創作物はないだろう。
すべての物事はそれぞれ発生において、なにかしらの原因を持つ。物事や創作物は、様々な制限という条件の中から発生したともいえるだろう。
病室でずっと過ごしていることや、医療器具を装着していることなど、物理的・身体的にはもちろん、例えば「お金を使う」、「雨に降られる」などいわゆる日常的体験や経験がないことから、心理的・精神的にも彼は閉鎖的な環境で育ってきた。
しかしながら、彼の作品の筆遣いや色選びから、「制限」、「条件」などという言葉は連想されない。紙の上を駆け回って遊ぶように這うストロークは「~であるべき」や「~だったはず」などといった、時に認識や判断を誤らせたり、理想と異なる現実に絶望させる反事実的思考から私たちを解放する。あるがままを受け入れ、「今」を享受すること、それこそが「自由」のようなものなのかもしれない。
哲学者國分功一郎氏は、17世紀オランダの哲学者スピノザの思想の核となる著書『エチカ』の最終目的を「人間の自由」であるとし、スピノザの目指す自由について以下のように述べている。
「自由」という言葉を私たちはふつう、「束縛がない」という意味で使うと思います。つまり制約がない状態です。
しかしスピノザはそのようには考えません。制約がないだけでは自由とは言えない。そもそも全く制約がないことなどありえないというのがスピノザの出発点になります。 ~中略~ 人間の本質とはその人の力であり、人間にとって善いことは、その人の活動能力が増大することでした。
でも、活動能力が増大するというのは、決してその人に与えられた条件や制約を超え出ていくということではありません。~中略~
たとえば、二本の腕と二本の足がある場合、二本の腕と二本の足があり、それ以上でもそれ以下でもない、というのはその人に与えられた条件です。その人の活動能力が高まり、腕や足が自由に動かせるとはどういう状態でしょうか。腕にも足にも稼働範囲があります。また骨格や筋肉や関節によって、動かせる方向やスピードには制限があります。これらは腕や足にとっての条件です。
腕や足を自由に動かせるというのは、それらの条件を超え出るということではありません。その条件のもと、その条件に従って、腕や足をうまく動かせる時、私たちはそれらを自由に動かすことができている。
自分に与えられている条件のもとで、その条件にしたがって、自分の力をうまく発揮できること。それこそがスピノザの考える自由の状態です。
―― 出典:『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』 國分功一郎 講談社現代新書 P.94~95
Art management:UMUM
Art curator:Ryo Watanabe