アーティスト・みつき

2004年、わずか611gで生まれる。
呼吸器機能、聴覚、体幹機能に障害があり
生まれた時から、病院で暮らしている。
21歳現在、体重9kg。
街の騒音、お金、火など
“当たり前”とされる事象に触れたことがなく
非日常の世界で暮らしている、とも言えるみつき。
2021年、18歳の時に特別支援学校訪問学級の芸術講師をしていたUMUMに出会い
支援校卒業後も、継続的にアートレッスンを受講。
線や色、形など、プリミティブな美しさが印象的な作品を制作している。
2024年12月 個展「わからなさのリアリティ」たましん美術館内(東京・立川)
2024年4月 チャリティーアートイベント「第4回 匿名希望展」原宿ハラカド(東京)出展
2024年2月 初個展「それは、思い込みかもしれない。」gallery mahikamano (東京 吉祥寺)
MUSEUM SHOP







画集
「それは、思い込みかもしれない。」
Drawings 2022-2024
2024年2月に東京吉祥寺で開催した初個展「それは、思い込みかもしれない。」の画集です。
みつきの作品をより多くの方のお手元に届けたい、という思いで制作しました。
H210mm×W210mm×D4mm/150g/フルカラー40ページ
本体価格¥2,700 送料込み¥3,000
ゆうメールでのお届けを予定しています
下記オーダーページよりご注文ください




これまでの出展作品
これまでの出展作品を販売しています。
平面作品は、作品のみ/額付をお選びいただけるほか、展示時とは別サイズの額装も承っております。
詳しくは下記からお申し込みください。
作品サイズ、素材はオーダーページに記載
下記ご了承の上、オーダーページよりご注文ください
-着払いでの発送になります
-額はアンティークのため、経年劣化があります
-販売は、お申し込み順となります
Exhibition history
2024年12月 個展「わからなさのリアリティ」たましん美術館 (東京 立川)
STATEMENT
本展覧会「わからなさのリアリティ」は、銀行の一角で開催されています。
ここではお金が取り扱われていますが、お金自体は目に見えない抽象的な存在です。
展示されているのは、風景や人物を描かない抽象画です。
これらの作品は、何を表現しているのかが明確ではなく、観る人それぞれが自由に解釈できるようになっています。
作品を作ったのは、20年以上にわたり病院で過ごしている作家です。
彼は酸素を機械で供給され、日常の水分摂取も厳しく管理されています。この環境から生まれた作品は、「生きることとはどういうことか」という深い問いを反映しています。しかし彼は、様々なことに興味を持ち、創作を楽しんでいます。生きることの意味を理解するのは簡単ではありません。
私たちは、多くのことを理解しようとし、自分は理解していると思い込みがちです。そして、わからないことに対してネガティブな印象を持ちやすいです。しかし、スマホの仕組みや「こんにちは」の意味、虹の原理について考えると、実際には多くのことがよくわかっていないことに気づきます。
「わかる」ことよりも「わからない」ことの方が多いのが、私たちの現実です。アートや哲学の力は、わからないものに出会ったときに「わかろう」とすることにあります。この展覧会を通じて、そんな体験をしていただければと思います。
Management by:UMUM
Curated by:Ryo Watanabe
2024年2月 初個展「それは、思い込みかもしれない。」gallery mahikamano (東京 吉祥寺)
STATEMENT
人は自由ではない。
そもそも私たちは重力など物理法則や現象に従っているし、社会の中ではルールを守らなければいけないし、生い立ちや環境などにも影響されている。創作活動でさえも、過去に見たり聞いたり、経験したことに影響されていない創作物はないだろう。
すべての物事はそれぞれ発生において、なにかしらの原因を持つ。物事や創作物は、様々な制限という条件の中から発生したともいえるだろう。
病室でずっと過ごしていることや、医療器具を装着していることなど、物理的・身体的にはもちろん、例えば「お金を使う」、「雨に降られる」などいわゆる日常的体験や経験がないことから、心理的・精神的にも彼は閉鎖的な環境で育ってきた。
しかしながら、彼の作品の筆遣いや色選びから、「制限」、「条件」などという言葉は連想されない。紙の上を駆け回って遊ぶように這うストロークは「~であるべき」や「~だったはず」などといった、時に認識や判断を誤らせたり、理想と異なる現実に絶望させる反事実的思考から私たちを解放する。あるがままを受け入れ、「今」を享受すること、それこそが「自由」のようなものなのかもしれない。
哲学者國分功一郎氏は、17世紀オランダの哲学者スピノザの思想の核となる著書『エチカ』の最終目的を「人間の自由」であるとし、スピノザの目指す自由について以下のように述べている。
「自由」という言葉を私たちはふつう、「束縛がない」という意味で使うと思います。つまり制約がない状態です。
しかしスピノザはそのようには考えません。制約がないだけでは自由とは言えない。そもそも全く制約がないことなどありえないというのがスピノザの出発点になります。 ~中略~ 人間の本質とはその人の力であり、人間にとって善いことは、その人の活動能力が増大することでした。
でも、活動能力が増大するというのは、決してその人に与えられた条件や制約を超え出ていくということではありません。~中略~
たとえば、二本の腕と二本の足がある場合、二本の腕と二本の足があり、それ以上でもそれ以下でもない、というのはその人に与えられた条件です。その人の活動能力が高まり、腕や足が自由に動かせるとはどういう状態でしょうか。腕にも足にも稼働範囲があります。また骨格や筋肉や関節によって、動かせる方向やスピードには制限があります。これらは腕や足にとっての条件です。
腕や足を自由に動かせるというのは、それらの条件を超え出るということではありません。その条件のもと、その条件に従って、腕や足をうまく動かせる時、私たちはそれらを自由に動かすことができている。
自分に与えられている条件のもとで、その条件にしたがって、自分の力をうまく発揮できること。それこそがスピノザの考える自由の状態です。
―― 出典:『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』 國分功一郎 講談社現代新書 P.94~95
Management by:UMUM
Curated by:Ryo Watanabe